——華強商事様のご来訪記事——
さて、2021年6月1日に、五環会社は兄弟会社の大連華強商事の田華強会長御一行様のご到来をお迎えられて、幸甚の至りでした。
今日の懇談会は尋常ではないでした。日常のお花見のようなことではなく、単純の出会いでもないでした。それは心と心の交流であり、同じ理想、同じ考え方、同じ信仰を持つチーム同士の感情的衝突であり、広い心と壮大な気迫を持つ指導者同士の情熱的な燃焼であり、二つの正エネルギー磁場の赋能と加持であり、二つの光の重なり合いと映り合いであります。
なぜ「六‧一」というこどもの日を選んで五環にお越しになったのですか?田華強会長は「初心を忘れないこと、私たちの初心は子供時代の純真さから来ている」と解釈しました。古語には「万事には全て初めがあるが、終わりはすくない」がありますが、初心を忘れないかぎり、最後までやり遂げることができると私たちは固く信じております。
懇談会の始めにつれ、田華強会長は「商しょうは笑しょうなり、笑しょうは勝しょうなり」という日本近江商人の格言を借りて、笑顔がビジネス上の重要性を説明しました。中国語に訳すれば、「微笑成就商业活动,微笑就是胜利」の意味です。彼は「笑顔は私たちをより効率的にしてくれる、また笑顔は私たちのビジネス活動をよりスムーズにしてくれる、更に笑顔は販売の高品質な完成を促してくれる、笑顔は勝利である」と更に説明をなさいました。
李群董事長は「人と人の付き合いは時間の長さではなく、生命の幅にある」と話していました。確かに、五環と華強は全く関連性がない二つの会社ですが、お互いも「出会ったのは遅い」という感じがします。彼らの理念は一致していて、文化も高度に融合していて、まるで何年も付き合った旧友のようです。
五環と華強は一致的な考え「お客様は神様で、従業員も神様である;指導者は必ず人格的魅力があり、率先垂範の人であるべきだ;会社には強い学習力と行動力が必要である;収入を増やし支出を節約すべきである;むしろ自分で節約して、従業員に豚肉を食べさせよう;移動するろうそくになりたく、自分を燃やして、他人を明るくしする;人間として、感謝を学ぶべきである;精进した道には孤独がない;良いことを身近にして、正エネルギーを伝えていこう……」を持っています、そんな素朴な思いこそ、非凡な心を2つ成し遂げさせました。
華強公司は「企業はその規模の大きさに関係なく、中身にある」と話していました。「山は高くなくても、神様こそいればいい、水は深くなくても、龍がいればいい」と言ったように、人の一番強いところは心であります。心の豊かさはすべて方寸の間で尽くします。大事を謀る者は,人格の崇高さを重んずるとのことです。
徳は孤独でなく、必ず隣にあるという古語のように、五環と華強は、似たような企業文化を持っています。
懇談会の最後に、田華強会長は出席した参加者全員に心を込めた贈り物を用意しました。それは仕上げがとてもいい無錆鋼の定規でした。それに、彼は自分でこの物差しの意味を述べました。
物差しはわが国では古代にある測量道具であると同時に,塾の先生が学生の規律を強化するための道具でした。物事は、决められた規則やルールに基づいて行わないと、うまくことが運ばなくなるように、物差しを見る度に、私達は何をやるべきかと思い出すべきです。物差しは人生の高さを測ることができます。どうやって私達の人生を有意義に過ごせますか?どうやってこの物差しをうまく使って人生を完璧にさせますか?これは道徳を代表する物差し、決まりの物差し、良心の物差しであります、人々が上手に使って、自分の道徳と言行を規範して、心性を高めて、利他行動をして、経営を開拓していきましょう。それに、私達は目標を設定して、毎日この物差しの最高目盛りに向かって邁進しましょう。「千里の道も一歩から、ちりも積もれば山となる」」と言ったように、日々積み重ねていけば必ず何か得るところがあると思います。
「大学」と稲盛哲学の「六つの精進」の朗朗の読書に伴い、五環と華強の懇談会は名残惜しい中で終幕に近づきました。「大学」の首章のテーマ思想は「明明徳」であり、君子は「修身、斉家、治国、天下平定」を自分の務めとし、「六つの精進」の「善行利他」という理論と同じルートであり、それは私達に深い道理を教えてくれました。
独行は早いですが、みんなの旅は遠くまで歩けます。一人でどれぐらい歩けますか、あなたと一緒にいる人によって違います。五環と華強が比隣相守、肩を並べて足を運ぶように心からお祈りいたしましょう。